悪趣味

僕が本を読むとき、隣の人は僕と同じ本を読んでいる。本は同じだけど、その顔や行動は十人十色違う。これははたして偶然なのだろうか?  それとも……。

 

 

この日もわけあってベローチェに訪れた僕は、店に入るなり温かいブレンドコーヒーを頼んだ。

コーヒーができるのを待つあいだ外に目をやると、今年に入って初めて降った雪が少し乱暴な印象さえ覚える速さでぼたぼたと落ちているのが見えた。向かいに見える和菓子屋は今日は休みらしい。はあ、こういう不幸気味な雪はクリスマスに降るべきだった。年始から少し腹がたつできごとである。

頼りないビニール傘がいくつか通っているあいだにもうコーヒーができたようで、店員からトレイを受け取りこれからすることを考えながら思わず(いい匂いだ)という気持ちが心からこぼれた。

いったいなぜこんないい匂いが出せるのか、このブレンドコーヒーには何がブレンドされているのか。コーヒー豆には無頓着な僕としてはこのおいしさの理由を知る必要はないと考えている。しいていうなら、うまい豆が三種類くらいはブレンドされているのだろうな、まあこのコーヒーに対して思うことはその程度だ。これから眠くなるまで話をするかもしれない、このコーヒーはそんな期待のためにいつも用意してるものだった。

震える手でトレイを持っているからかさっきからカタカタと恥ずかしい音がしている。二階席に上がるのはいつもしんどいけれど、それももう終わる。僕は窓際のカウンター席で読書している男の隣に座って、雪景色をみながら一口目のコーヒーをゆっくりと楽しんだ。その人は二十代なかばの僕よりも少し年上というところか、黒髪の短髪は手入れがよくされていたが近くで見ると少し頬がこけていた。

二口目の前にカバンから本を出して読み始めると、二口目のことは忘れるくらい面白い。これはなかなかいいチョイスだな。窓から見える和菓子屋の隣にはブックオフがあって、たったいまその前を通りかかった黒傘の二人が僕たちを見て笑っている気がした。

本を読み始めると僕はつい唇を噛み締めてしまう。さっき買った「ルビンの壺が割れた」というタイトルの本は悔しくなるほど、とてもよく売れていた。ただ、発売された去年の夏には飛ぶように売れていたのに、今年の冬を待つ前にはもうブックオフ行きになったのだった。そして僕は今日、ブックオフでやっとこの本を手に取るチャンスができた。本当は話題性もあって発売当日から読みたかったんだけれど、この日がくるまで読まないことに決めていたのだ。自動ドアの隙間風をしのぐために身を寄せ合うようにして売られていた「ルビンの壺が割れた」のうち一冊を手に取って会計を済ませ、店を出てベローチェの二階を見上げたら、笑いがこみ上げてきてしょうがなかった。そんな今日、ここでやっと読めたのも神のめぐり合わせであろうか。本の引きもいいし今年はいい年になりそうだ。

この本は面白い。けど隣の彼は僕が彼と同じ本を読んでることにまだ気づかないのだろうか?  この前なんて隣で「騎士団長殺し」を読んでいた女の子は「面白いですよね」と物怖じせず話しかけてきてくれたのに。彼にはこのままスルーされても気づかれなくてもいいけれど、こんなのは滑稽な悪趣味だと自分でも笑ってしまう。でも、これは僕なりの本の選び方でもあるし、人との出会い方でもある。それに、二階席を見上げて「同じ本読んでる」と誰かに揶揄されていることを想像するとたまらなくなってしまうのだ。

読了までお互い時間がある。隣の男がどうでるのか一種のスリルを楽しみつつ、僕は二口目のコーヒーを口にした。

窓越しには雨のような速さで雪が降っていて、和菓子屋のほうからじりじりと視線を感じた。

「あの人たち、同じ本読んでるよ」

立ち止まった二つの黒傘に僕はそういわれた気がして、たまらずまた壺に嵌ったのだった。

 

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